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Photo: Urlaubstracker / Unsplash
Aussie

Aussie Millions

オージー・ミリオンズ

南半球最大の名物大会。クラウン・メルボルンを沸かせた $100k チャレンジの伝説。

概要

Aussie Millions(オージー・ミリオンズ)は、メルボルンのカジノ『Crown』で毎年1月に開かれてきた南半球最大級のポーカー選手権。真夏のオーストラリアで行われる名物大会として長く親しまれた。

AUD $10,600 のメインイベントに加え、$100,000 チャレンジや $250,000 チャレンジといった超高額ハイローラーが世界の話題をさらった。世界のトッププロが南半球に集う一大イベントだった。

2020年を最後に(新型コロナやCrownを巡る事情で)開催が途絶えているが、ポーカー史に残る名物メジャーとして今も語り継がれている。

特徴

南半球の頂点

真夏の豪州で開かれる、南半球最大級のメジャー大会だった。

超高額チャレンジ

$100k・$250kのハイローラーが世界の注目を集めた名物。

歴史的な舞台

多くの名勝負を生み、ポーカー史に残るメジャーとして語り継がれる。

主な大会・シリーズ

Main Event(AUD $10,600)

南半球チャンピオンを決める中心イベント。

$100,000 Challenge

世界のトッププロが集った象徴的ハイローラー。

$250,000 Challenge

さらに上のバイインで話題を呼んだ超高額種目。

豆知識

  • 1月の真夏開催で、北半球のプロが『避寒』も兼ねて訪れた。
  • $250k チャレンジは当時世界最高額級のバイインとして注目された。
  • 2020年を最後に休止中だが、復活を望む声は根強い。

FEATURE — 調査記録

オージー・ミリオンズ——南半球の頂に灯る、真夏の狩り場

ハンター試験の会場が毎年変わるように、ポーカーの世界地図にもいくつか「必ず立ち寄るべき関所」が存在します。その一つが、北半球が凍える一月に、真夏の陽光の下で開かれてきた南半球最大級のメジャー——オージー・ミリオンズ(Aussie Millions)。メルボルンのカジノ『Crown(クラウン)』を舞台に、世界のトッププロが海を越えて集った、この大会の来歴を辿っていきましょう。賞金額、事件、記録、そして六年の沈黙を破った復活まで、確認できた事実だけを積み上げて描きます。

真夏のメルボルン、ヤラ川沿いに輝くクラウン

序章:なぜ「一月の南半球」だったのか

ポーカーのメジャーシーズンは、伝統的に北半球の夏に偏っています。ラスベガスのWSOPが六月から七月、ヨーロッパのツアーが秋から冬。そのカレンダーの空白——凍てつく一月に、南半球のオーストラリアはちょうど真夏を迎えます。プレイヤーにとってオージー・ミリオンズへの遠征は、勝負であると同時に「避寒」でもありました。分厚いコートを脱ぎ捨て、半袖でメルボルンのビーチを歩き、夜はクラウンのフェルトに向かう。この対比そのものが、大会の名物性を高めていったのです。

真夏のクリスマス、真夏の正月というオーストラリア独特の季節感は、遠来のプロにとって非日常の高揚をもたらしました。地の利を活かした開催時期の妙——これが、数あるメジャーの中でオージー・ミリオンズが独自の存在感を放った、最初の理由でした。狩り場は、いつも足を運びたくなる場所でなければなりません。

すべては1997年の一室から——創設秘話

物語の起点は、華やかな国際大会の姿からは想像しにくいほど、ささやかなものでした。クラウン・カジノにポーカーが導入されたのは1997年6月。その翌年、1998年7月に初めての本格的な選手権**「クラウン・オーストラレーシアン・ポーカー選手権」**が開催されます。バイインは1,000豪ドル、参加者はわずか74名、賞金プールは74,000豪ドルという、地域大会の規模でした。初代王者は地元オーストラリアのアレックス・ホロウィッツ。この時点では、後に世界の話題をさらう大会になるとは、誰も予想していなかったでしょう。

転機の一つは開催時期の移動です。2001年に大会は一月開催へと移ります。真夏のオーストラリアという「装置」を手に入れたことで、大会は少しずつ性格を変えていきました。参加者は101名、賞金プールは20万豪ドル規模へと育ち、地元の名物イベントとしての地歩を固めていきます。小さな種が、やがて南半球の頂へと伸びていく——その最初の数年でした。

「オージー・ミリオンズ」誕生——2003年という転換点

大会が真に「国際イベント」へと化けたのは、2003年でした。この年、フィールドは122名にまで拡大し、賞金プールは約120万豪ドル——ついに「ミリオンズ(百万規模)」の名にふさわしい額に到達します。愛称としての「オージー・ミリオンズ」がこの頃に定着し、大会は世界のポーカーツアーの一角として認知されはじめました。

象徴的だったのが、優勝者の顔ぶれの変化です。2003年、頂点に立ったのはイングランドのピーター・コスタ。大会史上初の非オーストラリア人チャンピオンの誕生でした。翌2004年には、同じくイングランドのトニー・ブルーム(後にサッカークラブ、ブライトンのオーナーとして知られる人物)が制し、優勝賞金は42万豪ドル超に。地元の祭りが、世界の腕自慢が海を越えて奪い合う「関所」へと変貌していったのが、この2003〜2004年という結節点だったのです。ポーカー史の年表に、オージー・ミリオンズの名が太字で刻まれた瞬間でした。

フェルトの上に積み上がるチップの海

747人の衝撃——ブームが呼んだ黄金時代

2000年代半ば、世界的なポーカーブームの追い風を受け、オージー・ミリオンズは爆発的に成長します。2005年、メインイベントのバイインが1万豪ドルへと引き上げられると、263名が参加し、賞金プールは263万豪ドルに到達。これは当時、南半球史上最大の賞金プールでした。優勝はニュージーランドのジャミル・ディア。翌2006年には、同じくニュージーランドの名手リー・ネルソンが418名のフィールドを制します。

そして2007年、フィールドはついに747名へと膨張。優勝賞金150万豪ドルを手にしたのは、デンマークの奇才ガス・ハンセンでした。攻撃的で予測不能なスタイルで一世を風靡したハンセンの戴冠は、大会の国際的な華やかさを象徴する出来事でした。翌2008年にはロシアのアレクサンドル・コストリツィンが、名手エリック・サイデルとのヘッズアップを制して165万豪ドルを獲得。フィールドは780名に達し、賞金プールは780万豪ドル規模へ。真夏のクラウンは、世界最高峰の腕が火花を散らす舞台として、完全に定着したのです。

二百万豪ドルの時代——チャンピオン列伝

2009年から2011年にかけて、メインイベントの優勝賞金は200万豪ドルという大台で安定します。この「二百万豪ドル時代」の王者たちを見てみましょう。2009年はオーストラリアのスチュワート・スコット、2010年は同じく豪州のタイロン・クロスト、2011年は721名のフィールドを制したデヴィッド・ゴア——奇しくも三年連続で地元オーストラリア勢が頂点に立ちました。南半球の大会で、地元の意地が世界の強豪を押し返した時期でもあります。

その後も名勝負は続きます。2013年、マレーシアのマービン・“ザ・キャット”・チャンが制し、アジア勢の台頭を印象づけました。2014年はカナダの若手エイミー・バレー、2016年は「グラインダー」の異名を持つカナダのアリ・エンゲル。2018年にはイングランドのトビー・ルイスが800名超のフィールドを制覇。多国籍のチャンピオンが並ぶ様は、この大会が真に世界に開かれた狩り場であった証左です。主要な歴代王者を、表にまとめておきましょう。

優勝者優勝賞金(豪ドル)参加者数
2003ピーター・コスタイングランド約39万122
2005ジャミル・ディアニュージーランド100万263
2007ガス・ハンセンデンマーク150万747
2008A・コストリツィンロシア165万780
2011デヴィッド・ゴアオーストラリア200万721
2013マービン・チャンマレーシア160万629
2018トビー・ルイスイングランド約146万800
2019ブリン・ケニーアメリカ約127万※822
2020ヴィンセント・ワンオーストラリア約132万※820

※印は決勝でのディール(賞金分配合意)を経た金額です。

$100,000チャレンジ——世界最高額が生まれた日

オージー・ミリオンズの名を世界の一流プロに轟かせたのは、実はメインイベントよりもむしろ、その象徴的なハイローラー種目でした。2006年に創設された**$100,000チャレンジ**は、当時としては世界最高額のバイインを掲げた超高額トーナメント。初代王者はインドネシア出身のジョン・ジュアンダで、約100万豪ドルを獲得しました。

この種目は、世界のトッププロが南半球に集う磁石として機能します。2011年には、イギリスのサム・トリケットが記録的な38エントリーのフィールドを制し、約152万豪ドルを獲得。トリケットにとって大きな飛躍の一歩となりました。2014年にはウクライナのエフゲニー・ティモシェンコが200万豪ドルを手にするなど、$100kチャレンジは毎年のように世界的なニュースを生みました。「超高額バイインといえばオージー・ミリオンズ」という評判は、この種目が築き上げたものだったのです。頂を狙う者だけが座を許される、選ばれし者のテーブルでした。

$250,000チャレンジとフィル・アイビーの独壇場

「世界最高額」の称号を巡る競争が過熱する中、2011年、オージー・ミリオンズはさらに上を行く**$250,000チャレンジ**を創設します。当時世界最高額級のバイインを再び自らの手に取り戻すための一手でした。初回は20名が参加し、優勝はアメリカの伝説的名手エリック・サイデル。獲得賞金は250万豪ドルに達しました。

そして、この超高額種目を語る上で欠かせないのがフィル・アイビーです。アイビーは2012年に$250kチャレンジを制すると、2014年には再び頂点に立ちます。2014年のこの勝負は語り草です。46エントリーが集まり賞金プールは約1,172万豪ドル、決勝のヘッズアップでアイザック・ハクストンを退けたアイビーが手にした優勝賞金は400万豪ドル——当時、彼のキャリア最大のキャッシュであり、超高額ポーカーの一つの到達点でした。同一種目を複数回制した最初の男として、アイビーの名は南半球の狩り場に深く刻まれています。

種目創設バイイン(豪ドル)象徴的な勝者
メインイベント2005年に1万ドル化10,600各国のチャンピオン
$100,000チャレンジ2006100,000J・ジュアンダ / S・トリケット
$250,000チャレンジ2011250,000E・サイデル / P・アイビー

ハイローラー文化とサテライト——頂への複数の道

オージー・ミリオンズの魅力は、超高額種目と大衆的なメインイベントが同居していた点にあります。$100kや$250kの雲上テーブルが世界の注目を集める一方で、メインイベントのバイインは1万豪ドル余り。決して安くはありませんが、世界メジャーの中では「手が届く頂」でもありました。さらに、より少額のサテライト(予選)を勝ち上がれば本戦への切符を得られる仕組みが用意され、アマチュアやセミプロにも門戸が開かれていました。

実際、歴代のメインイベント王者には、サテライト経由やアマチュアに近い立場から頂点まで駆け上がった「シンデレラストーリー」が少なくありません。プロだけの閉じた世界ではなく、腕さえあれば誰にでも玉座への道が開かれている——このハンター試験的な開放性こそが、大会に物語を宿らせ、フィールドを毎年膨らませた原動力でした。なお、こうした参加の仕組みはあくまで歴史的な事実の紹介であり、本稿は特定の参加を勧めるものではありません。

掲げられるチャンピオントロフィー

事件とざわめき——2020年決勝の後味

華やかな大会には、時に苦い後味の残る出来事も起こります。結果的に「最後の一月開催」となった2020年のメインイベントは、劇的であると同時に、小さな騒動を残しました。地元メルボルンのヴィンセント・“ウォンキー”・ワンが、414ハンド・約15時間に及ぶマラソン最終日を戦い抜き、ヘッズアップでゴック・タイ・ホアンを下して優勝。約132万豪ドルを手にしました。

騒動の火種は、三人が残った局面でのディール交渉にありました。ワンが相手を「ここで間違いなく一番下手なプレイヤーだ」と評する場面が中継に乗り、SNS上で物議を醸したのです。この時、クラウンのトーナメントディレクターが介入し、「タイトルそのものはディールの対象にできない」という原則を明確にしたと報じられています。勝負の熱と礼節、金銭と名誉——そのせめぎ合いが露わになった一幕でした。真剣勝負の場だからこそ、盤外の振る舞いもまた記録に残るのです。

クラウンを襲った嵐——休止の本当の理由

2020年を最後に大会が長く途絶えた背景には、新型コロナウイルスの流行だけでなく、会場であるクラウン・リゾーツ自体を揺るがした大きな嵐がありました。オーストラリアで実施された王立委員会(ロイヤル・コミッション)などの調査により、クラウン・メルボルンはマネーロンダリング(資金洗浄)の助長、税の過少納付、問題ギャンブラーの搾取などを指摘され、その運営姿勢は「違法かつ不誠実で、非倫理的、搾取的」とまで断じられました。

クラウンは即座の営業免許剥奪こそ免れたものの、政府が任命した特別管理人の強力な監督下に置かれ、抜本的な改革を求められます。カジノ運営そのものが揺らぐ非常時に、真夏の華やかな国際大会を開く余裕はありませんでした。加えて、責任あるギャンブル政策の一環として導入された長時間滞在の制限などが、長時間に及ぶトーナメント運営を難しくしたとも伝えられています。名物大会の休止は、単なる感染症対策ではなく、会場を巡る構造的な問題の反映でもあったのです。

記録と数字で読むオージー・ミリオンズ

数字は、大会の輪郭を雄弁に語ります。メインイベントの最大フィールドは2019年に記録した822名。この年に頂点へ立ったのはアメリカのブリン・ケニーでした。翌2020年も820名と、休止直前まで大会は活況を呈していたことがわかります。1998年の74名から始まった大会が、二十年余りで十倍以上に育った計算です。

超高額種目に目を移せば、2014年の$250kチャレンジで積み上がった約1,172万豪ドルの賞金プール、そしてフィル・アイビーが得た400万豪ドルの優勝賞金が、南半球の到達点を象徴しています。賞金とフィールドの推移を、時代の流れとともに眺めてみましょう。

メイン優勝賞金(豪ドル)フィールド時代の特徴
1998約2.6万74地域大会の産声
2003約39万122国際化・「ミリオンズ」定着
2007150万747ポーカーブームの絶頂
2009–2011200万約700賞金の黄金期
2019約127万※822過去最大フィールド
2026約166万※770六年ぶりの復活

※印はディールを含む金額です。

大会の空気——真夏のメルボルンとクラウン

オージー・ミリオンズを特別なものにしていたのは、数字だけではありません。会場となったクラウン・メルボルンは、市街を流れるヤラ川のほとりに広がる巨大な複合リゾート。カジノ、ホテル、レストランが一体となった空間は、それ自体が一つの街のようでした。一月のメルボルンは真夏。日中はテニスの全豪オープンが同時期に街を賑わせ、夜になればクラウンのポーカールームに世界中の言語が飛び交う——スポーツと勝負事が同居する、独特の高揚がありました。

プレイヤーたちは昼にビーチやカフェで英気を養い、夜はフェルトに向かう。北半球の冬から逃れてきた者にとって、それは労働と休暇の境目が溶け合う、夢のような遠征でした。トーナメントの緊張と、南半球のリゾートの解放感。この二律背反の同居こそが、オージー・ミリオンズの現地でしか味わえない「空気」であり、多くのプロが毎年この地を訪れた理由でもあったのです。

熱気に包まれる決勝テーブル

日本人プレイヤーとの接点

正直に記しておくと、オージー・ミリオンズのメインイベントで日本人が頂点に立ったという確たる記録は、筆者が確認した範囲では見当たりません。歴代王者の顔ぶれは、オーストラリア、イングランド、ニュージーランド、ロシア、マレーシア、カナダ、アメリカと多彩ですが、そこに日本の名は刻まれていません。誇張は避け、この点は正直にお伝えしておきます。

とはいえ、この大会がアジア太平洋圏のプレイヤーにとって重要な「関所」であったことは間違いありません。時期的に近く、渡航もしやすい南半球のメジャーとして、日本を含むアジアのプレイヤーが国際舞台へ踏み出す入口の一つであり続けました。2013年にマレーシアのマービン・チャンが制したように、アジア勢が世界の頂点に手をかけた舞台でもあります。地理的にも心理的にも、日本のプレイヤーにとってオージー・ミリオンズは「世界へ最も近いメジャーの一つ」だったと言えるでしょう。次に日本人の名がこのトロフィーに刻まれる日を、楽しみに待ちたいところです。

六年の沈黙を破って——2026年、復活の狼煙

そして、物語には続きがありました。長らく「休止中」と語られてきたオージー・ミリオンズは、2026年、ついに復活を遂げます。会場のクラウン・リゾーツが規制当局との問題に一定の決着(多額の制裁金を含む)をつけ、組織改革を進めたことで、名物大会が帰ってくる土壌が整ったのです。2026年、クラウン・メルボルンで六年ぶりに開催された本大会は、ポーカー界を大いに沸かせました。

主催者が想定した500名を大きく上回る770エントリーがメインイベントに集結し、賞金プールは770万豪ドル規模に。これは大会史上第5位のフィールドであり、2019年の822名という最多記録にわずか52人まで迫る快挙でした。優勝はマルコム・トレイナー、優勝賞金は160万豪ドル超。シリーズ全体では18種目が組まれ、総賞金は2,000万豪ドルを大きく上回ったと報じられています。「初年度でこの数字は、大会のレガシーへの何よりの証明だ」という関係者の言葉が、復活の手応えを物語っています。伝説は、まだ終わっていなかったのです。

蘊蓄コーナー——通が語りたくなる小ネタ

最後に、知っていると一目置かれる小ネタをいくつか。その一、大会の起源は1997年にクラウンにポーカーが導入されたことに遡り、初開催の1998年はわずか74名・賞金プール7.4万豪ドルの小さな大会でした。今の華やかさからは想像しにくい産声です。

その二、「一月開催」は偶然ではなく、真夏のオーストラリアという地の利を活かした戦略でした。北半球の冬から逃れる「避寒」を兼ねられる点が、遠来のプロを惹きつけたのです。その三、$250kチャレンジはフィル・アイビーの独壇場で、2012年・2014年と制覇。2014年の400万豪ドルは当時の彼のキャリア最高額でした。その四、大会史上最多フィールドは2019年の822名で、この年の王者はハイローラーの大物ブリン・ケニー。そしてその五、2020年の「最後の一月開催」を制したヴィンセント・ワンは、クラウンで六桁のロイヤルフラッシュ・ジャックポットを二度も引き当てた地元の名物プレイヤーでもありました。数字の裏には、いつも人間の物語が潜んでいます。

まとめ——この舞台が呼んでいる

小さな一室から始まり、真夏の南半球で世界の頂を集め、超高額チャレンジで伝説を生み、会場を巡る嵐に呑まれて沈黙し、そして六年の時を経て帰ってきた——オージー・ミリオンズの歩みは、ポーカーというゲームが辿った栄枯盛衰そのものです。74名から822名へ、7.4万豪ドルから400万豪ドルへ。その数字の一つ一つに、海を越えてきたハンターたちの野心と物語が宿っています。

ハンター試験の関所がそうであるように、この舞台もまた、腕を磨いた者にだけ次の扉を開いてきました。休止の闇を抜け、真夏のメルボルンに再び灯った狩り場の光は、今も静かにこう囁いているように思えます——「頂は、まだ空いている」と。次にこの南半球の玉座へ名を刻むのは、あるいはこの記事を読んでいる、あなたかもしれません。


※本記事は歴史・記録の紹介を目的としたものであり、特定のギャンブルや大会への参加を勧誘するものではありません。数値には現地通貨や決勝でのディールにより諸説あるものが含まれ、確認できた範囲で記載しています。

主な参照元: